創刊にあたり −現実をみつめる冷静な目−
世界貿易センタービルヘのテロ事件からまる二年。当時、私たちは、マンハッタンから列車でおよそ三十分、郊外のハーツデールという住宅地に住んでいた。
第一報は日本からだった。事務室にいた私に「ツインタワーに飛行機が突っ込んだ。大丈夫か」との内容。東部時間の午前九時ごろ。事務所にテレビなどはなく、スタッフがインターネットでCNNにアクセスした。セスナが突つ込んだようだ。現地の認識は当初そんなものだった。まさかニューヨークのWTCビルに旅客機ごと突っ込むととは。私たちはもちろんのこと誰にも想像もできないことであった。
アメリカの象徴が炎上していた。スタッフと共に自宅に戻ってテレビをつけたところ、まさに南棟が崩壊するシーンが映し出された。マンハツタンに住む彼女は、歩きなれた町並みが粉塵にまみれていく姿を呆然とみていた。
海外にでてみると、みんな自分の国に誇りを持っているのを強く感じる。当たり前といえば、当たり前のことだ。二十代の後半、GW大に在籍したこともあって、南米、アブリカ、東南アジアなどいろんな国籍の友人がいた。それほど最かではない国からきた留学生たちはある意味国をせおっていた。卒業後は母国に帰って貢献したい、彼らの共通の想いだ。
文化。それは、あらゆる国やその伝統や生きていくなかで、培ってきたものだ。文明は人間がよりよく生活していくための知恵のようなものではないか。文明が文化を蔑む事はおかしいし、どちらが上という問題でもあるまい。ただ、宗教も文化の一部であるととらえるならば、その争いは骨肉だ。欧米的な発想でみる私たち日本人とアラブ、南米、アフリカからみた米国は全く違った姿、形をしている。真実は、どうなのかは別の問題だ。
神宮前に戻ってきて一年半。夏ごろになると、幾つかの地元の神社で小さなお祭りが開かれる。金魚すくいやたこ焼き、焼きそば、ヨーヨーすくいと昔ながらの屋台が立ち並ぶ。みんな浴衣姿。昔ながらの日本がそこにはあった。文化を守るためには労力がいる。合理性だけを追い求めたら、消え去っていくのかもしれない。全てに米国と同じになる必要はないのだ。
縁があって神官前に住んでいる。その顔には二つの顔があってブランドやファッションなどの華やかな部分と地元に住んでいる人たちの下町っぽい温かさだ。私が好きなのは、その化粧っ気がない素顔の方。なぜかこの街は、私に生まれ育った故郷を感じさせてくれるといったら、華やかな顔しかしらない人々はそのギャップに戸惑うだろうか。
新聞をにぎわす凶悪犯罪を持ち出すまでもなく、日本の歯車はいま大きく軋んでいる。子どもたちの前にまず大人たちが襟をたださなけれぱならない。国政を司る政治家、役人。おのおのが白分の行いに誇りをもってやっているのか。公僕たる人たちが、私欲だけにとらわれていたら、人々から尊敬などされるはずもない。昔の人たちは国を想う気概と誇りがあったと思うのはただのノスタルジアだろうか。
この十七年ほどの間にワシントンDC、大牟田、福岡、東京、ニューヨーク、神宮前と流浪のように動いてきたが、子どもたちもこの街とその人たちが好きなようだ。私にできることは限られているが、何らかの貢献ができればと、コミュニティ・ペーパーの発行を思い立った。ともに大事な「何か」を守っていきたい。
「原宿新聞」編集長 佐藤 靖博