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「山の手空襲」戦没者の追悼法要 61年前の空襲被災者が青山・善光寺に集う
61年前に表参道を焼き尽くし、約3700人に及ぶ死者を出したと伝えられる「山の手空襲」の犠牲者を悼む法要が、24日、北青山3丁目の善光寺で行われた。
1945年の3月10日、米空軍のB―29戦闘機によって浅草・深川地区を中心に受けた大規模爆撃は、「東京大空襲」としてよく知られている。だが、当時東京が受けた爆撃がそれで終わらず、同年5月25日に青山、赤坂などを襲った「山の手空襲」まで続いたことは、今日では語る人も少ない。若い世代では、一晩で死傷者7400人(うち死者3700人)を出したこの空襲が表参道であったこと自体、知らない人も増えている。
青山・善光寺では終戦以来、毎年この時期に戦没者追悼のための法要が行われているが、今年も24日にその61回目が開催され、当時実際に爆撃を受けた人を含め15人前後が集まった。
戦前から一度も表参道を離れたことが無いというYさん(80代、女性)も、61年前に燃え盛る火の手から辛うじて生き延びた一人だ。その日24日未明からの空襲で家を飛び出したYさんとその家族は、無我夢中で逃げた場所が青山墓地だったことで九死に一生を得た。
だが逆方向である明治神宮の方角に逃げた人々は、Yさんが知る限りほとんどがその夜命を落とすことになった。爆撃で完全に火の海になった表参道は、翌朝には行き場も無いまま炎に焼かれ、黒い灰になった遺体の山で埋め尽くされていたという。
命拾いしたYさんとその家族にしても、関東大震災の時ですらびくともしなかった家を焼かれ、財産と呼べるものは全て失うことになった。焼け跡の中で無一物から始めたその後の生活について、Yさんは「とても話せないだけの苦労があった」と語る。実はYさんは戦後になっても当時のことを思い出すのが辛く、善光寺の法要に来ることもこの日までずっと避けてきたのだという。61年目の今回初めて訪れたのは、この日一緒に法要に参加した娘さんの、「この出来事は、誰かが語り継ぐ必要がある」という意見を聞き入れたからだ。
境内から一歩外に出れば、そこにはきらびやかなブランドショップが連なる普段の表参道の光景が広がる。つい先ほど聞いてきたばかりの話が、この場所で実際に起きた疑いようのない事実であるにもかかわらず、目の前の光景との落差のあまり眩暈を覚える。
(2006-05-26)
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