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長崎原爆の日を迎え、渋谷区に住む被爆者たちに聞く
8月9日は長崎の原爆記念日。61年前のこの日、米国2体目の原子爆弾が長崎市に投下され14万8千人の市民が命を奪われた。
原爆体験の恐ろしさを語り継ぐ人々は今も各地にいるが、「渋谷明友会」の岩沢さん、太田さんもそうした被爆者だ。渋谷区役所2階で開催中の原爆パネル展「原爆と人間」に二人を訪ね、当時の記憶を振り返ってもらった。
一瞬で大量殺戮を遂げる威力もさることながら、「生き残った人の体を生涯蝕むのが、原爆の恐ろしさです」と語る太田さん。7歳でその日を迎えた太田さんは、その時爆心地から約5km離れた山の中で木登りをしていた。だが被爆の瞬間は、爆風の威力のあまり木から吹き飛ばされたという。爆風で命を落とすことはなかった太田さんだが、その後すぐに振り出した「黒い雨」を浴びたことで2年後には頭髪は抜け落ち、頭部には腫れ物ができ今日に至る。
原爆によりもたらされる放射能は、黒い雨や死の灰、あるいは汚染植物を食べた動物の肉を介して体内に浸入。内、外から人体に危害を及ぼす。他の被爆者が放射能汚染で早くから命を落とす中、今日まで生命を繋いだことを岩沢さんは、「運命を決めたのは、ほんのわずかの差に過ぎなかった」と述懐する。
今月4日には広島地裁で、原爆症認定を却下された被爆者41人が国を訴えた裁判で全員勝訴。だが、国は未だ控訴を断念していない。これに対して岩沢さんは、「情けない状況だ。アメリカへの思いやり予算を多少なりとも減らすだけで、十分な保障ができるはず」と嘆く。ここ1,2年、平和・非核の問題に関心を持つ若い層がにわかに増えていることには救われているという岩沢さんだが、「被爆者にとっての戦争は、まだ終わっていない」との語気からは、こちらには窺い知りようもない重い実感を窺わせる。
(2006-08-09)
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