特集/コラム
「ニット洋裁教室」を文化として育てよう 鮎川 研一さん(ニットソーイングクラブ社長)
1着60分で縫える「夢の洋裁教室」がある。義父母が中心となって立ち上げた「佐藤貴美枝ニットソーイングクラブ」を、「親子2代」で国内外220店舗、全国展開の“優良企業”に育てあげた。今秋は登録会員10万人による全国3万点の中から選ばれた優秀作品展を、表参道ヒルズで開催。大賞、部門賞も設けてモチベーションを高めつつ、国内外へ「文化として育てる」という信念が注目されている。
もともとは、展示会見本などを縫製する「サトーサンプリングルーム」として、千葉・船橋で1973年にスタート。工場で「ニットが縫いづらい」という話が出て、その縫い方を夏の講習会で教えたのがキッカケとなり、工場の技術をもとにした縫製者育成機関「プロソーイング教室」を、1983年に創立。ここから派生して洋裁教室が生まれ、これを運営する会社「ニットソーイング」が1989年に設立された。
「ロックミシンを使用することで、1枚の作品が1時間以内で縫える洋裁教室」は人気を呼び、何よりも「道具を買う必要がなく、手ぶらで行って、縫って帰れる」という手軽さが受けた。
北海道から鹿児島まで広がり、いま日本国内に216店舗。海外はアメリカ西海岸に4店舗。合計220店舗まで到達している。
ニット中心の洋裁教室なのに、“店舗”という。それは、週に1回、午前中にカリキュラムを月謝制で教え、午後のフリー教室では型紙と使い、習ったことに準じて服を作る。しかも、何日通ってもいいし、楽しいクラブ活動のような”女性のコミュニティ”で、名づけて「教販」という。そうしたことから、教室は“店舗”と数える。こうしたスタイルは、パッケージ方式による「ニットソーイングのキッド販売」のビジネスモデル特許として確立されている。ほかに、商標登録が6つ。
型紙は、700型を数える。毎月、流行のデザインから3型以上が、新たにできてくる。展示会見本のサンプル縫製のノウハウを生かして、ファッション動向を見定めながら出せるため、「流行のファッションが、すぐに縫える」と好評。素材は、一部布帛もあるが、大部分はカットソー。「来る人は、みんな仲間」で、50代中心に、20代から上は80代まで、実に幅広い。
洋裁は、昭和20年代、「女性が手に職をつける運動」で盛んになったという。30年〜40年代には、洋裁学校は全国に、高校とほぼ同じ5000校。だが、その次の世代は「服を作ったことがない」のが大半。したがって、いま教室に来る若い人は「洋裁は初めて」の人がほとんど。
そこで、15年ほど前から「既製品を超えるものを作ろう」と、2次加工などにも力を入れ、これが付加価値となって「一品もの」に夫や子供たちのリクエストも増えて、家族のコミュニケーション促進につながっている。晴れの展示会には、親子でやってきて、「和」が広がる。
このあたりが「文化として育てる」ゆえんであり、一種の社会運動といってもよさそうだ。
あゆかわ・けんいち 1963年10月神戸市東灘区生まれ、兵庫県立芦屋高校から千葉の日本大学生産工学部機械工学科へ。「高校時代に父親が倒れ、浪人はできないし、大学は新聞奨学生」として苦学した。卒業後、関西の油圧系企業にエンジニアとして就職し、学生時代に知り合い、結婚した相手が、佐藤祐一現会長の娘。やがて関東転勤後、自然の流れで1991年5月、千葉県船橋市が本拠のニットソーイングクラブに「何でも屋のマネジャー」として入社。当時は「工場も合わせて20人ほど。5店舗しかなかったし、資金もなかったので、内装・修理も全部手掛けた」という。5年前、42歳のとき社長就任。
モットーは「継続は力なり」。今では国内外に220店舗、パートを合わせて500人近い従業員を擁する。
高校時代は柔道に熱中して黒帯。身長176センチで「横幅もけっこうあるでしょう」。大学では苦学の一方、地の利を生かしてサーフィンに親しみ、今はゴルフ一筋。ハンディ15で、「90を切る程度なので、誰からも憎まれず、仲良くつきあってもらえる」と笑う。