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【人物登場】2010-11-23

イタリアンレストランの新たな発展へ 今泉 博さん(代官山「Cuore di ROMA」オーナー)

 「日本のイタリア料理界をつくり、その一翼を担ってきた」という自負心を、柔らかな笑顔で包み、いま、新しい店の先頭に立つ。その新店も軌道に乗せて、今度は「報恩」「感謝」の道を歩む。とはいえ、未だ枯れてはおらず、異彩を放ち続けている。

イタリアンレストランの新たな発展へ 今泉 博さん(代官山「Cuore di ROMA」オーナー)

 「サバティーニ」の、実質上の経営責任者から退き、みずから代官山にイタリアンレストラン「Cuore di ROMA」(クオーレ・ディ・ローマ)を開店したのが、2005年11月23日。長引く不況下でも、まずは順調に育て、この11月は11日(木)〜26日(金)の「ご愛顧に応えて」という、5周年記念の「大感謝祭」に結実させた。
 「食材はイタリアだけでなく、最高級品にこだわって、カナダとか世界各国から取り寄せた」という。その特別メニューは、「通常なら2万円以上」という本格イタリア料理のフルコースを、1万  円(税込み)で提供、「連日、予約で満杯」といった盛況を生み出している。
 レストラン経営成功の秘密は、リピーター(固定客)の確保と、もうひとつは、“レストラン・ウエディング”にある。さすがに数字は明かさないが、100人規模の披露宴が、「1カ月に4本も入れば、笑いが止まらない」という。「それが実は、入る」のだ。
 「サバティーニ」時代の25年で、そのノウハウを確立、「レストラン・ウエディングの草分け」としての、強烈な自負心が、そこには滲み出ている。 
 
 今も、青山ベルコモンズの隣にある「サバティーニ」時代の活躍ぶりは、中谷彰宏著「レストラン王になろう」(オオタパブリケーション刊)に詳しい。その第1巻に、「人を驚かせる職人たち」15人のうちの一人として登場している。
 中東・欧州の放浪後、20歳で帰国。イタリアンレストランを志して首都圏の各地で修行、吉祥寺での独立開業を経て、「リストランテ・サバテーニ青山」に入ったのが、32歳のとき。「イチから出直し、より高いレベルのところで、自分を磨こう」としたわけで、ここでオーナーのサバティーニ氏の薫陶を得て、「チャランポランな自分が、まともな人間になれた」。
 厚木や座間の米軍基地にも出入りし、将校たちとも親しくなったのはよかったものの、ベトナム帰還兵たちの喧嘩に巻き込まれ、大乱闘を繰り広げるような青春も、ここで終わりを告げた。
 人一倍の努力と気配りによって、オーナーだけでなく、従業員一同の信頼も得て経営を担い、最終的には12店舗とした時点でバトンタッチ。自らは“再び独立”して、2005年に開店したのが、今の代官山のレストランなのだ。

 いまいずみ・ひろし 1948年(昭和23年)11月、習志野市生まれ。千葉県でも3本の指に入るという名門の県立船橋高校では、野球に親しみ、身長177センチの長身を生かして主に一塁手、外野手として活躍。進学した東京の安田商工経営学科は、五木寛之著「青年は荒野をめざす」に憧れて中退し、6人の仲間たちとシベリア鉄道でモスクワに、そしてストックホルムへ。再会を約して欧州各地に散り、自身は「石油のスペシャリストになろう」と、最初に入ったサウジアラビアは、水も食事も合わず、「たった3日で挫折」。
 その後、トルコ、ユーゴスラビアを経て入った北イタリアの水が合い、働きながら10カ月ほど滞在。このイタリア経験が縁となり、その後の、40年に及ぶレストラン人生の原点となった。
 「おかげで、人の2倍ほど、いろいろ経験できた」という波乱万丈の人生は、「光と影」が織りなしている。影の部分では、「人に言えないようなことも、たくさん経験しまして・・」と、多くは語らない。
 「自らかえりみて直くんば、千万人といえども、我ゆかん」という、人生訓そのままの“イタリアン人生”を、今も歩み続けている。

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