特集/コラム
優しい街になろうよ 松本 ルキさん(ファッションプロデューサー)
「変化するもの全てがファッション」――最も変化するのが人間ならば、飲食、音楽・・・・人に関するすべてがファッションである。
「すべてのファッションをアートにまで高めることを研究する」として目的に設立されたのが、オールファッションアート研究所。
今、この研究所を“シンクタンク”として、ヘアサロン、アパレル、飲食、音楽、コスメ、ヨガと、企業経営の幅も大きく広げている。さらには「農業、エネルギーなどにも関わっており、そのうち保育の応援にも」と、とどまるところを知らない。
オールファッションアート研究所の設立は1971年。ということは「自分の生まれた年」であり、設立したのは父親だ。松本瑠樹、本名松本和夫は、DC(デザイナー・キャラクター)ブランド「BATSU」を立ち上げた著名デザイナー・プロデューサー。ポスター研究家・コレクターとしても知られる。
その父親は当時、「子供が生まれたら、男でも女でも“ルキ”と名づけるつもりだった」そうで、親子が全く同じ発音の名前を名乗る珍しいケースが生まれた。「この会社は、私が入社するまで、父ひとりだった」というように、まさにシンクタンクとしての運営。この方式は今日にも引き継がれていて、美容室、アパレル、自然食レストラン、音楽、コスメの5分野にまたがる各事業会社の代表は、それぞれ自分自身でつとめる。
とはいえ、「各社とも業務リーダーがいて、自分は顧問みたいなもの」というところがミソ。
このうち、コスメ(フレグランス)のアポーシャジャパンは、実妹の麻衣子さんが引っ張る。ヨガも手がけるなど、実質的に同グループのビューティ部門と事業多角化を担う。
「仕事は手段、目的はファミリーハピネス。これは昔からブレない」ととして、かかわる人・地域すべての幸せを願う。「地域のどこにいても、やっていただろう」というコミュニティ活動は出色。生き方そのもの、といってもよい。
まずは、商店街振興組合原宿表参道欅会の副理事長、神宮前小学校PTA会長、シブヤ大学原宿表参道キャンパス校長・・・・。
ロンドンから帰国後、当時の原宿シャンゼリーゼ会から原宿表参道欅会への名称変更(1999年)に際して、「副理事長だった父の助手」として、街の歴史や伝統に立ち戻ったコンセプトづくりに携わったのが始まりだ。 「自然に参加」するようになった欅会の活動は、1999年から理事、3年前から副理事長。40歳未満で組織する青年部会に参加し、3代目部会長を務めた。初代の部会長で現専務理事の重永忠・生活の木社長は小中学校を通じて10年の先輩。「あの爽やかさ、自分もあのように」と、憧れる。
PTA会長は、今春4月から。「エリアの商業化で夜間人口が減り、児童数も大幅減少」だが、多忙を口実に、逃げたりはしない。コンセプトは「学校に文句をいう機関ではなく、学ぶ環境をサポートする」。4年生の長男のために就任したPTA会長だが、2年生の長女のほか、幼稚園の次男も「すぐに上がってくる」だけに、どうやら当分は続投の気配だ。
シブヤ大学は、渋谷の街中をキャンパスにして、毎月さまざまな場所で授業を行う。原宿表参道キャンパスの2009年最後の授業は12月19日(土)。カフェ編、会社訪問編など6つのテーマごとに、街に関わる人や場所を訪ね、魅力を発見する。しかも、今回の「原宿表参道みんなで街歩き」は、専用ナビゲーションソフト「みんなのナビ」を使って、ゼンリンとのコラボレーション事業という試みだ。
「優しい街になろうよ」。11年ぶりに復活させたイルミレーション事業もその手段のひとつ。エコ、バリアフリーもまた同じ。「エコアベニューは10年前から唱えてきた」という。
目的に見合う手段は、みんなが持っている。「その結果、商売も潤えば、大いに結構」というわけだ。
原宿表参道欅会は、たしかに商店街振興組合だが、今や振興組合の域を、はるかに超えている。
1971年、生粋の原宿生まれの原宿育ち。明治大学政治経済学部4年在学中から、ダブルスクールで文化服装学院アパレルデザイン科に3年ほど学び、卒業後、ロンドンのデザイン企画会社「Global Consultants」のクリエイティブ・チームに。帰国後、DCブランド「BATSU」のクリエイティブディレクターに就任。オールファッションアート研究所を軸に、美容室はじめ5分野の企業を多彩に運営する一方、表参道の地域コミュニティ活動にも積極参加。表参道ヒルズWEST棟にオフィスを構え、今も、渋谷区神宮前に妻、2男1女と住む。最優先は「ファミリーハピネス」。